この世界の片隅ニュース

新聞やネットで見つけた小さなニュースを紹介。自由気ままに書いてます。

「公文書」改ざん問題。海外にどう説明するかが重要だ。

森友学園問題を巡って揉めに揉めている。朝日新聞の「公文書改ざん」スクープが出て予断を許さない情勢だ。

※書き換えではなく、ここでは改ざんとする。

 

まず、改ざんのニュースが出る前の森友学園問題に関しては違法性がない以上、内閣の責任は問えないというのが私の考えだ。違法性がないものは、倫理上の問題はあるにしても、責任を問うことは出来ない。そんなことよりも、自衛隊の日報隠しのほうがよっぽど問題だ。

 

しかし、朝日新聞のスクープは「森友学園問題」云々よりもより大きな問題に発展した。報道直後は、朝日のガセだと騒いでいた保守系論壇の方々も今はクルっと手のひらを返している。擁護のしようがないくらいダメダメだってこと

 

そもそも公文書とは

国や地方公共団体の機関、または公務員がその職務上作成する文書のことを言う。偽装すれば、文書偽装罪に問われる。立派な犯罪だ。

 

公文書が偽装されると

大きなポイントとしては偽装問題がグレーな着地になってしまった場合、経済活動にも影響をもたらしてしまうということだ。

 

海外の企業が新サービスや新製品の開発拠点をアジアに置こうとした場合。どの国を選ぶだろうか。マレーシアやフィリピン、シンガポールという東南アジアも選択肢に入るだろうが、多くの企業がGDP世界2位の中国か、3位の日本を第一候補に入れるだろう。

 

この場合、日本が選ばれるポイントは「公平性」であるはずだ。はっきり言えば、経済は落ち目で、市場としての価値も大きくはない。法人税も高いしね。

しかし、それでも中国を選ぶことは出来ない。中国は共産党一党独裁であり、法よりも共産党が上にくる。外資が中国で新製品を開発したとしても、その技術を中国が国有化してしまう可能性がある。この縛りがある限り、中国はあくまでも市場であり、工場でしかない。大国なのでそれでも問題はないのだけど。

 

今は中国の企業も民営化の動きがあるがルールが変わるってことは改善されない。

 

中国に比べれば日本は公平だし透明だ。日本は欧米以外で初めて西洋化をした国。この点において日本は世界の中でも、世界史の中でも大きな意味を持つ特別な国だ。

 

企業の努力や技術は公平に担保されるべきだし、国民の理念としても共有されてきたはずだ。

 

しかし、公文書が偽装される国だというイメージが払拭できなければどうなるか。

 

中国ほど露骨ではないにしろ、外資から見れば交わした文書が書き換えられる、後で証拠が変わる、ある意味で中国と同じイメージを与えてしまう恐れがある。こうなれば日本の外資誘致は難しくなる。同じく公平さがないなら市場がデカイ中国で勝負しようとするのが当たり前だ。

 

公平さを徹底的に担保することが日本の優位性になる。

 

麻生さんが辞任するなり、外務省にメスを入れるなり、歳入庁を作るなり、ブロックチェーンを使うなり、体外的に公文書の偽装はもう二度とないことをアピールするべきだ。総理の言葉を借りるなら間違いなく今は国難だろう。

 

東日本大震災から7年。

東日本大震災から7年が経った。

 

あの時、私は東京の会社で仕事中だった。初めは少しゆっくりした揺れた。デスクトップPCが落ちそうになったので、先輩とおさえていたのを覚えている。「結構、大きいな」なんてちょっと笑いながら。5秒後くらいに一気に揺れた。今まで感じたことのない大きな揺れだった。「やべ、これ洒落にならない!」先輩と顔を真っ青にしてPCをおさえた。

 

揺れが収まった後は当然、仕事なんか出来る状況じゃなくて、社員全員が会社から身内に安否確認の電話をした。携帯電話は全く使えなかったので、会社が社用電話の使用を許可してくれた。私は早めに親族と連絡がとれたので、散らかりまくった会社の整理をした。

 

電車が止まっているという報道もあり、会社に泊まるつもりだった。住んでいたいアパートは木造だったので、会社の方が安全とも思った。ただ、当時は都営大江戸線の近くに住んでいて、大江戸線は地下深く潜るため復旧が早く、夜10時くらいには動いていたので帰宅。家はそんなに散らかってなかった。

 

次の日は出社。私の会社は24時間システムが動いているので、誰かがいなきゃいけない。独身だったので、自分が率先して出社した。他にやることもなかったし。

 

1ヶ月後、予備校時代の友人が仙台にいたので、ボランティアも含め会いにいった。

仙台市内はもう落ち着いていて、特別混乱もなかった。直後はスーパーやコンビニからモノが無くなっていたらしいが1ヶ月もたてば日常をとりもどしていた。パッと見は。話を聞くと被災が大きかった地域から親族や知り合いの元に身を寄せている方も多いし、仙台に住んでいる人の中でも出身が海沿いの地域の方もいる。1日滞在では分からない「痛み」が街全体を覆っていたのだろう。

 

仙台から石巻に移動した。会社からの水や食べ物も持って。(今、思えばこれは自分への言い訳だった気がする。野次馬根性で行ったわけでは断じてないが、自衛隊でもマスコミの人間でもない自分が行って被災者の方にどんなメリットがあるのかを考えてしまった)

 

石巻の風景は今でも覚えている。多少は片付けれているものの、まだ市内に泥も残っていたし海沿いは瓦礫の山だった。言葉が無かった。今でこそ「復興」という言葉を口にすることは出来るが、あの時は言えなかった。

 

その後も半年に一回程度だが、被災地に「観光」に行く。子どもが産まれてからはあまり行けていなくなって、年一回になったけど。

 

観光という言葉に嫌悪感を覚える人もいるかもしれない。私はほとんどの被災地の方から、「東北に来てほしい」という声を聞いた。ボランティアも求められているが、それよりも単純に観光に来てほしい。(被災地への観光に関しては思想家の東浩紀さんが「福島第一原発観光地化計画」という本を出しているので一読してほしい)

 

 

たぶん、東京出身で東北に友人はいても親族がいない、転勤する可能性もない私が出来るのは観光しかないんだろう。歯がゆいけど、東北を観光して、東北を楽しんで、お金を落とすしかないんだろうな。本当に東北のご飯は美味しいしね。

「未来の地図」で家を探そう

家を探す時、何を参考にするだろうか。価格や路線はもちろんだが、近くにどんなお店・商業施設があるかも気になる。現在の状況は分かるが将来的に何が出来るかはよく分からない。情報はあるんだけど、個別に調べなきゃいけないし、視覚的に理解できないんだよね。

で、こんなサービスがあった。これは使えそう。

 

mapfan.com

 

1年後〜2年後〜3年後に出来る施設が分かる

百聞は一見にしかず。一度サイトを見てほしい。地図上にあるスライダーを動かすと、何年後、どこに、何が出来るかが分かる。

 

例えば。田端駅。2018年のままだと特に何も表示されない。普通の地図だ。

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スライダーをちょっと動かして2019年にすると。

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オレンジのアイコンと赤いアイコンが出る。

カーソルを合わせると…

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認可保育所の文字が。2019年春頃に認可保育所が出来るってことらしい。

これは便利。

 

ただ、現時点では保育所や学校などの行政が既に計画を発表しているものと、大規模な再開発地域、大きな商業施設くらいしか反映されていない。地域も山手線の中が中心だ。

 

まだまだ情報としては足りないが、今後に期待したい。もし、コンビニや商店、公園まで反映れたら家探しにはなくてはならないツールになるかも。湾岸地域をはじめ、郊外でも再開発の動きがあるので、対象地域ももっと増えて欲しい。誰もが感じているニーズを掘り出した素晴らしいサービスではないだろうか。

 

賭場に近ければ近いほどギャンブル依存症になるという当たり前のお話。

毎日新聞に「自宅から3キロ内強く 男性のみ、パチンコ店調査 疑い確率1.9%アップ、1.5キロなら3%」って記事が。

 

https://mainichi.jp/articles/20180228/ddm/012/040/066000c

 

要は家から賭場が近いほどギャンブル依存症になるって話。

 

 

私もちょっとだけ依存症だった

私の友人もギャンブル依存症が大勢いる。特にパチンコとスロット。一日いかないとソワソワしてくるらしい。

かく言う私もなりかけたことがある。大学のころ、競馬にハマり毎週土日は府中か中山に繰り出して散財した。ゼンノロブロイタップダンスシチーくらいから始まり、ディープインパクトメイショウサムソンウォッカダイワスカーレット…このくらいがピーク。

 

こんな私が言うのもなんだが、ギャンブルは規制すべきだ。

 

規制はパチンコだけじゃなくて競馬・競輪も。

パチンコは大問題。最近、カジノ法案に対し、ギャンブル依存症が生まれるという批判があるが、パチンコのほうがよっぽど依存症を生み出している。パチンコはだいたいどの駅にもあるんだから、さっさとそっちを規制すべきだろう。偏見もあるかもしれないが、パチンコやったって何の役にも立たない。

ここまではよく聞く話。それに対し、競馬や競輪は公営ギャンブルだから…という擁護もよく聞く。でもギャンブルという本質は変わらない。パチンコは365日いつでもやれるが、競馬や競輪は開催日が決まっているから依存症にはなりにくい…この擁護もよく聞く。でも、これは間違いだ。経験者だからいうが、パチンコはいつでも出来るが掛け金が決まっている。1日打っても、まぁ、15万負けくらいがMAXだろうか。競馬や競輪は一回の掛け金の上限がない。いくら掛けてもOK。あと、地方競馬いれたらほぼ毎日出来ますけど?ウィンズあるしネットで掛けられるから家でも出来ますよ?あれ?これってまずくね?

 

まずウィンズを無くそう

場所が依存症発生の確率を上げるのだとしたら、まずウインズとネット購入を規制すべき。全撤廃が望ましいと思うが、上限を決めるだけでもいい。すぐに掛けられる状態をなくすのは依存症対策に効果的だ。競馬であれば、府中や中山、大井くらいに限られる。簡単に掛けられなければその分、依存症は少なくなる。行くまでめんどくさいからね。私は元々、生で見ないなら掛けないってスタンスだったので、忙しくなって行くのを辞めた。

 

場所を限定して所得制限を!

ここまで書いて身も蓋もないが、ギャンブル依存症なんてなるやつは勝手になればいいと思っている。しかし、所得が低い人が依存症になるとなると話は別だ。ギャンブルをすれば借金に結びつくし、借金をすれば家族に迷惑がかかる。反社会的勢力の資金源にもなる。はっきり言って身近にギャンブルで借金したやつがいると超ウザイ。金貸してほしいだのなんだの。

金持ちがいくらすってもかすり傷だ。

 

生活保護対象者も制限すべき

生活保護を受けているからって、タバコや酒を規制すべきではない。それは人権侵害だ。しかし、ギャンブルは別。貧乏だからってギャンブルで一発逆転はないカイジじゃないんだから。ギャンブルに先はない。生活保護を受ける人は理由は何であれ、希望を見出しづらいのが現状だろう。だったら、その希望を摘むようなことはすべきではない。公営かどうかに限らずギャンブル規制に一刻も早く乗り出すべきだ。

 

部活の闇は「外野の正論」で正すしかない

日刊スポーツの記者が書いた記事が炎上している。

 

www.nikkansports.com

なかなか、ぶっ飛んだ記事なのだが、特に、

多忙でどうしようもないならば、部活でなく、授業を減らせばいい。学業指導は学習塾にかなりの部分を依存している現状で、仮に授業時間が3分の2になって、勉強ができなくなって困る生徒は、果たして、どれほどいるのだろう。ゆとり教育の失敗を反省し、学習指導を改革すれば、授業時間削減の再挑戦も可能ではないか。 

 この当たりが特にヒドイ。どういう発想でこんな記事が書けるんだろうか。スポーツ紙だからスポーツによった内容にしたかったのだろうか。売れるからだろうか。学習指導要領をもう一度見直してから書いてほしいものだ。

 

ライターの松谷創一郎さんやコラムニストの小田嶋隆さんなんかもブログやコラムでこの記事の何が問題かを指摘している。どちらの記事も非常に勉強になるのでぜひ、お読みいただきたい。

 

私は特に小田嶋さんのコラムに色々と考えさせれるものがあった。

 

部活は「理屈じゃない」から理屈で勝っても仕方ない

要はこういうことだ。「あーなるほど!」と思った方もいるのではないだろうか。特に体育会系の部活は理不尽な練習、上下関係があるが、それを耐えてこそ一人前みたいな文化がある。今のスポーツ科学したら全くもって間違っているにも関わらずだ。

 

要は部活は「理屈じゃない」。だからこの記事を書いた人も支持する人も、理屈は通じない。理屈じゃないんだから。理屈で負けても負けたと思ってない。理屈じゃないんだから

 

この指摘はかなりクリティカルなものだ。理屈で正せると思い込んでいる人たちの鼻っ柱を折るものだ。

 

「本人が望んでいるんだからいいじゃないか」に対して

少し話はずれるが、以前、自身も甲子園に出場し、一時は高校野球部の指導員もつとめた方と話をした。甲子園は残虐ショーという批判に対して彼はこう言った。

「俺もそう思う。でも仕方ないんだよ。だって高校球児があの炎天下でやりたいと望んでいるんだから。甲子園に出た子の中でもプロや社会人・大学に行って野球を続ける子はほとんどいない。8割から9割の子達はここで自分の野球人生を終える。だったら彼らが夢見た舞台を守ってあげたい。

高校球児全員があの場所でプレーしたいと思っているかといえば疑問だが、大勢が球児がそう思っているのは間違いないだろう。

高校野球は商業ではない。だったら本人達が望んでいる場所で、心ゆくまでプレーさせてあげるべきなんじゃないかって話だ。

 

この意見には中々反論しずらい。だってどこまで言っても「外野は黙ってろ」だもの。

 

それでも外野が正論を言うしかない

堂々巡りだ。何度考えても。それでも部活による先生の負担や生徒のことを考えれば、誰かが外野から正論を言うしかない。

 

考えてみれば当たり前で、中の人は中のルールで闘う。ルールを疑ったら「中の人」になりえない。外野が「あれ変じゃね?」って安全な場所から、うるせーなと思われながらも言い続けるしかない。私も2児の父だ。子どもが野球をやりたい、甲子園で投げたいと言われたら全力で応援するだろう。「炎天下でやってんじゃねーよ」という批判に「外野は黙ってろ」と思うかもしれない。でも、そういう声がないと本当に子どもも先生も自分自身も追い込んでしまうかもしれない。

オフライン翻訳機「ili」の可能性

iliという翻訳機が話題だ。

iamili.com

 

大きさはwiiのコントローラーくらい。簡単に特徴を説明しよう。

  • オフラインで使える
  • 日本語→英語、中国語、韓国語に翻訳できる
  • 双方向での翻訳は出来ない(機種によって英語→別言語は出来る)
  • 翻訳スピードが早い
  • 観光に特化した翻訳機であるため、固有名詞は弱く、ビジネスでは使えない

 

機能を制限するという凄さ

使ってみると分かるが、案外翻訳できないことが多い。長い文章はダメだし、和製英語、和製中国語も認識されない。

 

しかし、それでもiliは今の時流に合わせた素晴らしい製品だと断言したい。

 

なぜ、機能を制限したか。それはオフラインで使えることと、翻訳スピードを上げることに特化したからだ。

 

相互翻訳、観光以外の言葉はオンラインでないと不可能

相互翻訳をili内部のコンピューターだけで実現するのは難しい。となると、一度音声データを基地局に飛ばす必要がある。そこで翻訳をし、iliに戻す。固有名詞も大量にインプットするのは難しいため、基地局に飛ばす。

これでは翻訳スピードが落ちるし、wifi環境のない海外では全く使えない。

なので、機能を制限した。

 

また、相互翻訳について面白いことが書いてあった。なんでも、見知らぬ海外の人にiliを向けて話してもらうことが難しいんだそうだ。初めは相互翻訳も実装してたらしいが、相手にiliを向けることはほとんど無く利用頻度はかなり低かった。だったら無くていいじゃないかって判断したそうだ。

 

テクノロジーは進化するが人は進化しない

以前、AIの研究をする人と話したことがあるが、今、AIやテクノロジーが出来ないことは数年後までに全てクリアできると言っていた。

しかし、「人は進化しないので、テクノロジー全てを使いこなせない。だから人に合わせて、あえて機能を制限したものの方が使いやすい」らしい。

 

iliを例にとれば、相互翻訳を人は使いこなせない。もちろん、ウェアラブル翻訳端末を全世界の人がつければいいんだろうが、少なくとも現段階では難しい。

 

iliは今度のトレンドの象徴になる?

AIやテクノロジーの機能をどう制限するかが今度の製品開発のカギになる。有名な話だが炭酸印象のファ○タ。オレンジグレープ味があるが、違うのは色とフレーバーだけで味は全く変わらない。一度目隠しして飲んでみてほしい。全く分からなかいから。舌の味覚って機能は実はかなり限られている。辛いとか甘いとかしょっぱいとか。そのくらい。「味」を決定的に定義するのは視覚と嗅覚だったりする。

 

では、味を判別する製品を作る時どうするか。味覚を感じるテクノロジーをいくら開発しても人間がそれを感知できないのであれば意味がない。だって、そこで味を半ベルしてないんだもの。視覚と聴覚のテクノロジーをミックスすることでようやく人が何を感じるかが分かるわけだ。五感の一つ一つが何が出来て何が出来ないのか。人のレベルに合わせたテクノロジーこそが求められている。

 

テクノロジーは万能になるかもしれない。でも人間は万能にはなれない。

技術開発は進む。同時に人は何が出来て何が出来ないかの研究が急ピッチで進むだろう。そして、それこそが人の生活を便利に豊かにするのかもしれない。iliからはAIやテクノロジーの「今」を感じられる気がする。

電子コミックスが紙より売れてる。いい時代!でもね…

電子コミックスの販売額が、紙の単行本を初めて上回ったらしい。

 

www.yomiuri.co.jp

 

いくつかデータを見てみると、読まれている漫画自体は一緒で、単純に出力媒体が違うってことじゃなく、そもそも読まれている漫画が違うみたいだ。

 

アプリの電子コミックスはエログロ?

もちろん、これだけじゃないんだけど。出版社が出している漫画では出来ないエロやグロさが読めるのが魅力らしい。分からんではない。ただ、これだけじゃいずれダメになるだろうな。私は全部の電子コミックスを読んでるわけじゃないし、全アプリをダウンロードしているわけでもない。純粋に作品として評価されているものもあるかもしれない。ただ、出版社がやれないことのすき間を縫うだけじゃつまらない。だって、仮に出版社がエログロ表現をやれるようになったら駆逐されるだけだから。後続が先行を抜かす場合、先行者のやってないことをやるのは当然だが、それが「やれない」ことなのか、「やれるけど、あえてやってない」ことなのかを見抜くのは結構大事だと思うのよね。

 

電子コミックスは文化足り得るのだろうか

文化という言葉は大げさかもしれないが、少なくとも日本の漫画は世界に誇れる文化だ。昔も、今も。では、電子コミックス市場がもっと成熟すれば文化になるのだろうか。その可能性を妄想したい。

 

紙より圧倒的な低コスト

例えばピッコマ。課金制だが、待てば無料で続きが読める。時間を金で買うシステムだ。人によって差は出るが気になったものは課金して一気に読めるし、そうでもないものは放置して帰りの電車で読めばいい。学生の懐事情にも優しい。こういう課金システムに批判的な声もあるが、私はポジティブにとらえている。だって紙だって買わなきゃいけないんだし。あと置く場所に困らないのも大きい。紙ってかさばるから。

 

誰でも簡単にアップできる=才能が発掘できる

ネットの普及で誰もが簡単に発信できるようになった。昔は出版社に漫画を持っていてもボツにされれば誰の目にも触れることがなかった。今ならネットにアップして、Twitterで告知すれば多少は見てもらえる。面白ければ広がっていく。いい時代だ。

 

 

編集がいない

これこそが最大の障壁だ。編集って一般の方が思う以上に大事な仕事。

漫画も小説も、編集が悪いと質が落ちる。売上も下がる。

「重版出来」という漫画、ドラマがあったがまさにあれ。編集者は漫画の方向性もキャラクターも作者と一緒に考える存在。(まれに、ワンピースの尾田栄一郎さんみたいな人がいる。彼は編集者に口は出させないらしい。でも、尾田さんは天才だからね。例外。一握りの人気漫画家の中のさらにトップしかそんな存在にはなれません)

作者が考えた面白いことを理性を持ってみんなが分かるように翻訳する。時には翻訳をせず、荒々しい状態で世に出す。この判断と作業をするのが編集のお仕事です。私も少し編集の仕事を手伝ったことがあるが、優秀な編集者さんって本当に理性的だし、よくものを知っている。作者が情熱と本能だとすれば、編集者は情熱と理性だろうな。

 

誰でも簡単にアップできる=才能が発掘できると書いたが、実はこれは間違い。だって個人でやっても編集がいないんだもの。尾田栄一郎みたいな天才以外は一人でやって面白くてみんなに読んでもらえる作品なんて作れません。

 

狭いコミュニティだけにウケればOK!?ならいいだけど

狭いコミュニティってのは悪い意味じゃない。むしろ、これからのネットコミュニティは確実に狭いほうに行くはずので、むしろ時代には合っている。例えば、拷問漫画が大好きなコミュニティがある。この人達は拷問系じゃないと読んでくれない。でも拷問系であれば必ず金を出してくれる。だったら、この人達に向けて拷問シーンばっかりの漫画を書き続けたっていい。それで自分の食い扶持くらいは稼げる。好きなことで生きていくだ。

 

でも編集って人が入った時にこの図式は崩壊する。なぜなら、編集者の食い扶持も稼がなきゃいけないから。作者だけじゃダメ。2人分、もしかすると経理の人も含めて3人分は稼がなきゃいけないかもしれない。この時、とるべき方法は3つ。

  1. 消費者の単価を上げる。
  2. 拷問という市場を広げる。
  3. もっとマスが取れる市場で勝負する。

 

1は個人でも出来るが相当難しいだろう。500円だったものが1,000円になっったら急に客は減るだろうし。2と3は個人じゃ無理。市場を広げるには作品の中身を大幅に変えなきゃいけなし広告だって必要。3は言わずもがな。

 

個人で発信するだけでは文化にはならない

個人が発信し儲けるためにはターゲットを狭くしなきゃいけない。広かったら既存のマスには勝てないから。でも狭くしたら世界に発信する文化になるのは難しい。それこそ100年に一人の天才を待つしかない。キセキ待ちだ。才能をキャッチアップし、世に出す編集者が必要だ。個人が発信するメディアが増えた分、優秀な編集者こそが今一番求められている人材なのかもしれない。