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グレイテスト・ショーマンは差別を美化していない

ヒュー・ジャックマン主演、ラ・ラ・ランドのスタッフが手がけたミュージカル映画グレイテスト・ショーマン。興行成績も好調みたい。

 

ストーリーが気になる人は以下の記事や、ご自身で検索してみてほしい。以下はネタバレあり。

 

※なお、マイノリティ・障害という言葉は好きではないが、この映画を表すには分かりやすい言葉だと思い、使用する。不快に思う人がいれば先に謝っておく。

 

realsound.jp

 

差別を美化しているわけじゃない

曲はラ・ラ・ランドの方が好きだが、ストーリーはこっちの方がノレた。恋愛がいまいちノレないってだけかもしれないが。

映像もキレイだし、ストーリーも分かりやすい。ポップな映画で万人受けするはず。

 

この映画の素晴らしい点はミュージカル映画の中に差別やマイノリティに対する視点を入れ込んだこと。

 

主人公はろくでなし!?

この映画に対し、あまりにも美化しすぎだという指摘がある。つまり、サーカスというものは史実として、マイノリティや障害がある人を見世物にしていた。虐待をしていたところだってあったということだ。グレイテスト・ショーマンのサーカスでは、そういったことは一切ない。一度、代表である主人公に捨てられるシーンがあるのだが、彼らはサーカスという居場所を失ったわけではなかった。あくまでサーカスは自分たちの居場所であり続けた。

 

さらに言えば、ヒュー・ジャックマン演じる主人公がマイノリティを集めサーカスを作っていく過程。この時、主人公は彼らの居場所を作ろうとして動いていない。ただ、金のためだ。儲かりそうだから。変なやつらを集めてショーにしたらウケそうだからだ。

 

主人公は他に金になりそうなショーがあれば平気でサーカスの団員を捨てそっちに飛びつく。物語序盤から中盤にかけては、別にマイノリティの人たちのことなんて考えてない。金儲けのためだ。

 

主人公のキャラが「美化しすぎ」を避けている

主人公の行動に嫌悪感を覚える人がいるだろう。私も彼の行動にはかなりの違和感がある。しかし。だからこそ、あの時代のサーカスをしっかり反映している。サーカスは福祉のためのものじゃない。あくまで商売だ。

 

その中でマイノリティの人たちが居場所を見つけていく…象徴的なのは主人公に捨てらた時、サーカスの団員達が立ち上がるシーン。あれは彼らが自分の足で、あえてこういった言葉を使うが「健常者」とは別の場所に立ったということだ。「健常者の救いの手がなければ彼らは自分の足で立てない…?そんなことはない!」という強いメッセージだろう。

主人公は決して善人じゃない。(エンディングあたりはそうなっちゃうけど。ま、これくらいはエンタメだから仕方ないかな。もうちょっと徹底してくれても良かった)

それが逆にマイノリティと呼ばれる人たちが自分の足で立っている、立たざる負えない、立てるってことを表している。

 

モヤモヤするのは…障害を割り切らないと生きられないの?

一つだけモヤモヤするのは。ショーに出れない、出たくないマイノリティが描かれていない。そこまで全方位は無理っしょってのは分かるんだけど…差別を描いた作品で、よくあるのが「強いマイノリティ」「マイノリティであることを誇る」タイプの人たち。もちろん、こういった人達も大きな絶望や苦労をしてきことは想像に難くない。しかし、割り切れない人もいるのは事実だ。ショーに出る勇気はないけど、裏方で…みたいなキャラがいて欲しかったな。欲を言えばだけど。

 

あ、こういった障害、マイノリティの人達のショーについてもっと知りたいという人は日本の映画「DOGLEGS」を見てください。スゴいです。